- [HN] DuckWalk36
- [血液型] A型
- [年齢] 1970年代生まれ
- [職業] 会社員
22歳で「梱包業」に弟子入りし、25歳で独立開業するも、36歳でリーマンショックにより廃業し、現在は大手運送会社に勤務中。
働くと言う事
大阪市港区という、今や「海遊館」で有名になっった街で育ちました。
隣町の西区には、ボルトやナットの卸問屋が多くあるので、近辺には鉄工所が多く、そのほとんどが家内制手工業の町工場という地域柄、幼少の頃から働く大人の人を直近で見て育ったのです。
当時は、機械の音や油の匂いの中、男性はもちろん、おばちゃんもお姉さんも機械の前で油まみれになって働いていました。
もちろん実家も町工場で今でも現役です。
なので、「手に職をつければ食いっぱぐれが無い」と言う事を教えられて育ち、いつかは自分も親の仕事を継ぐんだと言う事を信じて疑いませんでした。
高校を卒業し、縁故で親のお得意先に就職し技術を学びました。
いわゆる丁稚奉公です。
倒産を経験する
丁稚奉公先のお得意先様は、印刷機械の部品を作っていた会社で、その大きなお得意先様が、突然の倒産に陥りマスコミでも取り上げられたのです。
そのニュースがテレビで流れた時、「え?! ウソやん??」と思ったものでした。
社会というものに対し、自分が思い描いていたモノと現実のギャプが思春期の自分には耐え難く、この得意先様の倒産をきっかけに丁稚奉公をやめたのです。
今思えば「人生のあるある」なんですが、当時の「若さ」という勢いに流されたのでした。
フリーター
バブル時代を過ごし、「稼ぐ」と言う夢を見ながら丁稚奉公を過ごすも、理想と現実が違いすぎて、自由を求めてフリーターになったのです。
はっきり言って、この時代は遊びたかった。
だって18歳ですもん。
若いから刺激を求めますやん(笑)
当時の趣味だった波乗り(サーフィン)に没頭するために会社員になる気はありませんでした。
周りは週休二日制を導入していた時期だったので、羨ましかったのもあります。
フリーター時代は責任を問われる事もなく自由で、ある程度のお金が入れば趣味の波乗りに行けたから幸せだったのですが、心の奥底ではどこか充実していないなと言う焦りがありました。
そんな時、阪神淡路大震災が起きたのです。
復興に人手が足りないから手を貸して欲しいと言われ、お手伝いに行きました。
神戸に向かう国道43号線は、いつも通り慣れていた道ですが、高速道路がぶっ倒れて道が寸断され、車で向かう事が困難だったので、阪神電車に乗って神戸の灘へ向かいました。
尼崎駅を過ぎた辺りから、家の屋根にブルーシートが張られていたり、ビルの崩壊現場を目の当たりして、自然災害の恐ろしさを体験し学びました。
そんな頃、梱包屋を継がないかと言う話が舞い込むのです。
夢を再び
二つ返事で梱包業界に飛び込み、2年で独立開業しました。
梱包業というのは、木箱を製作して、その中に商品を梱包して発送する仕事です。
港区という地位柄、港に船が泊まり、貨物輸送の為に木箱を使ったものでした。
今ではコンテナというものが出来て、木箱を見なくなりましたが、昔のギャング映画などには、よく木箱が登場します。
現に、海遊館のある場所は、荷受け場の倉庫街だったので、映画の撮影現場としても使われていました。
重量物の荷物はダンボールでは対応できないので、木箱を作るのです。
これからの未来に挑戦できると言う興奮が優っていて、「不安」と言うものは一切なく、裏付けのない「自信」だけが背中を押したのです。
それが25歳の6月の事でした。
これが怖さを知らない「若さ」と言う「武器」なんだと今になって感じる事があります。
苦労とは思わない
お客様もそのまま引き継いだ為、まず目標とした物は、早くこの仕事を自分の色に染める事だと考えました。
一人で「営業」「製造」「販売」「経理」「引き取り」「配達」と全てをこなしていたので、どうしても「営業」が疎かになってしまいます。
それを改善するために独学でHPを作りBlogも構築して行きました。
独学で試行錯誤しながら作ったHPから初めて注文をいただいた時は感動しました。
最初の注文は量販店の激安の殿堂で知られる「ドン・キホーテ」さんでした。
新規オープンのオブジェとして木箱を製作して欲しいとの事だったのです。
それから、大手企業様からの注文もよく頂く様になり、この仕事が自分の色に染まってきた事を実感した時でした。
「石の上にも三年」と言うことわざがある通り、開業してからと言うものは、「人の目」と言うものを突き刺さるように感じました。
そう、人って見ていないようで見てるんですよね。
だって、若造が一端の店を持つんやもん。
興味を持つのが当たり前やわ。
三年くらい経つと信用がついたのか、ご近所様からの口コミなどもあって、お仕事を頂けるようになっていきました。
この時初めて地域密着として受け入れてくれたなと安堵したものです。
一人で業務をこなしていたために、忙しくなると友達が手伝いに来てくれたりしてむちゃくちゃ楽しい持期を過ごしました。
事業拡大
大きなお得意先様が増えてき始めた頃、リーマンショックに襲われました。
ある日の事、お得意先様で重大なお話があると言う事で伺うと、「この先、発注できなくなり、私達もどうなるかわからない」と言う事だったのです。
この事だけを聞いて何が何だかわからず色々考えました。
私の出した答えは「辞めよう」だったのです。
後先の事を何も考えず直感だけでした。
「辞める」と言う事を関係者にお伝えすると、「何でや?!」と驚かれ、同業他社様の社長さんは、「仕事は人生や、ウチの軒下でやり直せ」とまで言ってくださったのですが、丁重にお断りさせて頂きました。
このお言葉は有難く涙が出るほどでした。
なぜなら、辞めると言ったものの、先の見通しもなく不安がいっぱいだったからです。
始めるのは簡単でしたが、辞めるときの踏ん切りや見極めが難しいという事を身をもって体験しました。
業界から去ってしばらくして「リーマンショック」と名付けられたのです。
数年後、当時のお得意先様などに電話をすると、その後一年半くらい仕事が無く、職人を休ませたり解雇したりと大変だったそうです。
そこでやっと自分の判断は間違いではなかったと納得させる事ができましたが、自分の気持ちを整理する為に4年もかかりました。
大手運送業に就職できるもやる気が起きず、何をやってもダメで失敗ばかりして、怒られることも多く、自分自身に自信が持てず負の連鎖が起こっていったのです。
借金返済のため
自営業を閉店させ、借金だけが残ってしまったので、返済をする為に稼がなくてはいけません。
ウダウダしていても月日は流れるばかりです。
そう、手っ取り早く稼がなくてはいけないのです。
そこで飛び込んだのが運送屋。
37歳で転職し、体重は92kg
キツイので有名な運送屋ですので、3ヶ月もしないうちに20kg痩せました。
現状は72kgで軽快な動きができます。
お金を稼ぎながらダイエットができるって最高でしょ?(笑)
会社員
企業に属すると言う経験は初めてです。
会社員だからこそ学べると言うものがたくさんあります。
そう、私に足らないものが働きながら学べると言うのがありがたいと感じました。
当たり前の事なんだろうけど、その当たり前が出来ていないのだから失敗したのです。
それは「物事をきちんとする」と言う事。
これって出来ているようで出来ていないもんです。
一人でこなしてきた為に、スピードや効率を優先するがあまり「手抜き」をしていたのです。
新しく赴任してきた課長さんが朝礼の挨拶で「まずは日報の字を綺麗に書く事!」と厳しく指導されました。
その丁寧さが全てに通じ、一つ一つを丁寧にしたら失敗のリスクを軽減できると言うのです。
まさにその通りですよね。
分かっていてもしなかったと言うのは言い訳で、その言い訳が少しずつ見えない形で自分を苦しめていくと言う事を学びました。
独立開業するなら
独立開業するならまずは会社員になって色々学ぶべきだと思う。
私は逆だったので非常にしんどい思いをしたけど、しんどかったからこそ身についたものがあると思います。
ちなみに妻は会社員から独立を果たしました。
どちらが楽に物事をスムーズに行えるかと言うと、会社員から自営業と言う流れをお勧めします。
なぜなら、会社員で知らず知らずに身についているものがあるからなんです。
簡単に言えば「モノの道理」が身に付くと言う事。
見えないルールを守る事で自分を守り伸ばす事ができるのです。
I’ll be back
「現状は学ばされる為にある」と言う言葉があります。
今置かれている現状で何を学ぶかが非常に大事なんですよね。
会社員で学ばなければいけないものを学んで、脱サラするのが夢です。